2012年01月28日

業者登録

毎年、この時期になると、業者登録を行うため、

かなり広範囲にわたって近畿各地の地方公共団体に赴いています。



要領の悪い?お役所では、2時間くらい費やすことも少なくありませんが、

あらかじめ登録しておかなければ、どんな仕事も受注が叶わないことから、

指名願いとも、入札参加資格登録とも呼ばれるこの制度は、

“官尊民卑” の象徴のような気もしますし、

実際、あからさまにそんな態度で資料に目を通し、

微細な記入漏れなどで、頭ごなしに詰られるようなこともあるんです。



ただ、まず仕事を請け負う可能性のない市町村などは、

この業者登録以外でその地を訪れることなど滅多とありませんから、

時間が許せば、目に付いた名所旧跡や古民家などを訪ねる楽しみがあります。


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昨日訪れた某市で、ふと目に付いたお屋敷は、

当時の最高級の用材と最高の技術を用いられた国登録有形文化財だそうで、

建築にあたっては釘が1本も使われておらず、

技術的にも再現することは容易ではない建物だとのこと。


建てるのに丸3年を要したんですって!


いや〜、素晴らしい建物ですね。 目の保養になりました。

業者登録万歳! って、 やっぱり皮肉にしか聞こえませんか。。
ニックネーム カイチョー at 18:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | ところ

2012年01月26日

く、首が回らない

く、首が回らない・・・


たしかに、多額の借金を抱えた身ではありますが ふらふら

そうではなくて、


昨日、一昨日と、今年はじめての上京の折、都心では

" 6年ぶりに4cmの積雪を観測、その影響で病院に運ばれた人が173人にも上った "

との報道がありましたが、


長時間、滑らないように小股で下を向きながら歩き続けたからなのか、

あるいは、着慣れないオーバーコートを一日中羽織っていたのがいけなかったのか、

はたまた、重いかばんをずっと持ち続けたせいなのか、


(友としたたか酒を酌み交わした後、

安ホテルに帰ってそのまま轟沈して寝てしまった影響かもしれませんが…)



朝、起きて暫くして、

グギ・・ と鈍い感触が首筋を走ったかと思うと、


それ以降、 く、首が回らない がく〜(落胆した顔) んです。



人にお会いするときに、

(仲間うちならいいのですが)

首を痛めている素振りを見せないようにするのがもう大変。


今日の午後になって痛みは少し和らいできましたが、

これは辛いもんですね。



こんど、あまり好きではなかった “肩掛けかばん” を買いに行くことにします もうやだ〜(悲しい顔)
ニックネーム カイチョー at 16:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 出来事

2012年01月23日

ベスト8

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−写真−ロイター


オーストラリアのメルボルンで開催されている全豪オープンテニスの男子シングルス4回戦で、世界ランク26位の錦織圭がベスト8、との報道に触れ、少々興奮しています。


4大大会で自身初のベスト8はもちろんのこと、

日本人選手としては、1995年のウィンブルドン選手権の松岡修造以来の快挙。

錦織は試合後、

ベスト8入りは、何も考えられないくらい嬉しいです

とコメントされているようですが、

ここまできたら、この勢いで次戦のA・マレーも撃破してしまいましょうよ!
ニックネーム カイチョー at 21:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ

2012年01月22日

梅田

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梅田は大阪、北新地のJR2駅、

阪急、阪神、地下鉄の3駅(梅田、西梅田、東梅田)が集結するターミナルで、

繁華街の一日の集客は約200万人と、すでに新宿を上回るともいわれるエリアですが、


現在、都市再生緊急整備地域に指定されている梅田北ヤードは、

来年春完成予定の「グランフロント大阪」 が建設ラッシュで、

かつてのバブル期を彷彿とさせる景観なんです。


また、先週の17日付けで、

昨年5月に開業したばかりの大阪ステーションシティ内の商業施設を訪れた客数が、

“一億人を突破した” という報道があったばかりであり、

その対象は「JR大阪三越伊勢丹」「大丸梅田店」や、専門店街「ルクア」などの計8施設で、

お正月にそれらの商業施設を訪れた知人によれば、

大混雑で腕を抜くことも出来なかった

というくらいの盛況ぶりだったそうです。



そのおかげか? 梅田に立ち寄った際に利用する阪急百貨店のメンズ館やイングス館は、

休日でも案外ゆったりとショッピングが出来るんですよ ^ ^


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本当においしいカレーを食べたことがありますか?

というキャッチに惹かれ、

また、本日はカレーの日ということもあって、

夫婦でナビオ7階にあるお店に入ってみました。


生姜、福神漬け、チーズ、ピクルス、青しその実漬け、らっきょうと、

なんと薬味が6種類も出てきてびっくり がく〜(落胆した顔)



欧風カレーは久しぶりだったせいか、あるいは齢のせいか?、

少々、重すぎる感もあり、

バターライスや薬味もおかわり自由だったものの、

自分達の分を平らげるので精一杯でした。



赤と黒を基調にした店内はとてもオシャレで、接客態度もしっかりとしており、

若いカップルにはお薦めのお店かもしれませんね ^ ^
ニックネーム カイチョー at 20:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | ところ

2012年01月21日

「日本人の戦争」

震災で多くの外国人が日本から離れていっている今こそ、感謝を込めて日本に永住したい

先日、あの大震災の後、日本に永住することを決意したというドナルド・キーンさんの文庫本が平積みされており、そのタイトルに惹かれたこともあって手にした 「日本人の戦争」


〜作家の日記を読む〜 と副題にあるように、

永井荷風、伊藤整、高見順、山田風太郎、吉田健一ら、

てっきり戦争に批判的だと思っていた知識人の多くが、

むしろ戦争を賛美していたことに驚かされました。


また、

戦争という惨禍と変化の時代に日本人であるとはどういうことかが日々記録されている

と、キーンさんご自身が記されているように、

戦時の有り様が手に取れるようなシーンがたくさんあり、

永井荷風が谷崎潤一郎を訪ねる辺りのくだりは、

とても印象深いものがありました。



ご興味のある方はぜひご一読ください。 ↓↓↓

ニックネーム カイチョー at 19:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍

2012年01月20日

「僕が僕であるために」

>>> 前号より続く

その他にも、たとえば「OH MY LITTLE GIRL」は、

フジTV系のテレビドラマ『この世の果て』の主題歌となり、

尾崎の死後に初めてオリコンシングルチャート1位を獲得、

初のミリオンシングルとなった究極のラブ・バラードですし、


北の国からでも使われた「I LOVE YOU」に至っては、

今ではこの歌をカバーしている日本人アーティストだけで29人!

英語はもとより韓国語や中国語、フィリピンなどでも訳され、

カバー曲を含めた総売上は全世界で1,000万枚に達する尾崎の代表曲となっています。



“反逆のカリスマ” はまさに世間がつくりあげた偶像であり、

生前の彼自身、こんなふうに語っており。。

僕自身のプライベートな気持ちを書いているだけなのに、大人への反発、社会への反発を歌っているととられている。それに気づかないでいたと思う。敵をつくるとか、反発するとか、そんなことだけじゃしょうがない。それだけで終わっちゃ何もならない。敵をつくるだけじゃ、かえって自分を追い込むだけだ。もっと違う何か、僕自身が探し続けていることを歌っていきたいんだ

また一方で彼は、

なんとなく暮らしやすくなった、みたいに思うかもしれない。だけど、そういう暮らしやすさに妥協して、本当に大切なもの、失くしちゃいけないものを、失っていく怖さみたいなものを、僕はいつも感じている

とも、そして、

なぜ人間が生まれてきたのか、とか、自分自身の存在する意味、みたいなものを考えてしまう。人ごみの中で、人波に疲れたり、逆にほっとするとか、誰もがそういう気持ちで歩いている。それは結局誰もが日常に追われているに過ぎないんじゃないか、それが果たして本当に何かに向かって生きていることなのか。 俺は少なくとも自分自身の真実をつかむために一日一日を生きていきたい

とも・・・



『十七歳の地図』の最後に収められている

僕が僕であるために

は、そんな彼の心情と信条が見事に表現された宣誓文であり、


♪ 心すれちがう悲しい生き様に ため息もらしていた

  だけど この目に映る この街で僕はずっと 生きてゆかなければ

   人を傷つける事に目を伏せるけど 優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく

  僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない

   正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで

  僕は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に歌い続けてる ♪



(結果的に)世間と対峙してしまった尾崎の、

追いつめられてしまう末路を予見させるかのような詩かもしれませんが、


今では高校教科書に「15の夜」の歌詞が掲載され、

自ら作詞・作曲した歌の世界に没頭しながら全身全霊をこめて歌い

と記述されているように、


たとえ、

「尾崎豊を知っているか」と、問わなくても、         

「尾崎豊」を強要 せずとも、

尾崎豊の再評価が不要 だと断じられようとも、


真実や愛と自由、正しいものは何なのかを求める若者の心には、

尾崎の魂のメッセージはきっと刺さるでしょうし、


坂本龍馬のように、

おそらく100年の後には、

もっともっと大きな存在として、真の評価を得ていることでしょう。


ということで、

“尾崎フリークの戯言” と御笑覧頂きつつ ^ ^

彼のデビュー・コンサートでの最後の曲「シェリー」と、

その素晴らしいMCの映像を最後に、

とりあえず、私なりの “尾崎豊論” を〆たいと思います。



続きを読む
ニックネーム カイチョー at 21:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2012年01月19日

町の風景

「15の夜」より続く


二十歳になり、完全に方向性を見失ってしまった尾崎が突然、

無期限活動休止を宣言し、単身で渡米後に、

覚せい剤に溺れてしまったことを擁護するつもりは全くありませんが、


そもそも、音楽も芸術の領域(当然ですが)であるとするならば、

アーティストの品行方正さよりも、その作品や表現力が問われるべきでしょうし、


この『15の夜』が収められているデビューアルバム『十七歳の地図』

全篇を聴いていただければ、


尾崎が "大人や社会への反発、不信、抵抗" を表現したかったわけでも、

実際にバイクを盗んだり、夜の校舎の窓ガラスを割ったわけでもなく、


愛と自由、 真実とは、正しいものは何なのかを真摯に模索し続けた、

苛烈な生涯だったことがご理解頂けるのではないでしょうか。


『17歳の地図』Wikipediaより

ソニー主催のオーディションに合格し、17歳にしてレコーディングされた作品。発売時に尾崎豊本人が高校在学中だった為、生産枚数が抑えられ、初回生産分はかなり少ない。また、当時無名同然の高校生だったため、はじめはわずか3000枚売るのが精一杯だったとも言われている。後に尾崎自身が「ファースト・アルバムを超える作品が作れない」と発言しているほど、後の代表作が多数収録されている。鬱屈した10代の感情を歌い上げた楽曲群は若者たちに受け入れられ、現在でも再発が繰り返されている作品である。また、オリコン史上、発売からミリオン達成まで最も時間がかかった(1994年3月21日付で達成。10年3か月21日)アルバムでもある。なお、後に親友となる吉川晃司は、このアルバムが発売された当時、自身のラジオのレギュラー番組で「自分と同い年の奴が発売したアルバムで、素晴らしいアルバムがある。是非みんな聞いて欲しい」とこのアルバムを大絶賛した



尾崎も、のちに語っているように、

最近でも、関係者の人とかに聞くと、サウンドから入ってゆく人が多いみたいだから、音楽って、もしかしたらそういうものかもしれないけど、僕の場合は、言葉を歌ったのが音楽になっていた、みたいな感じだったんで (雑誌『GB』でのインタビュー・19歳の時)

まず、 "はじめにことばありき"


いずれも素晴らしい詩のオンパレードですが、

お気に入りのナンバーをいくつかご紹介していきましょう。


街の風景

本blogでもご紹介したように、

この歌には原曲があり、およそ10分にも及ぶことから、

初レコーディングはリテイクの嵐だったそうですが、


スターダムにのし上がったあとも、

ライブコンサートなどではこのフルバージョンを歌っていたそうですから、

彼が自らの詩をいかに大切に思っていたかがわかります。


それにしても、中学のとき、国語の授業中に書き上げたという詩の凄さをご堪能下さい。


町の風景(原曲)
-----------

町の風に引きさかれ 舞い上がった夢くずが
路上の隅でさむさにふるえ もみ消されてく
立ちならぶビルの中 ちっぽけなおいらさ
のしかかる虚像の中で 心を奪われている

あてどない毎日を まるでのら犬みたいに
愛に飢え 心はかわき ふらつきまわるよ
灰色の壁の上 書きなぐった気持ちは
それぞれの在り方の 空しさにふるえてるんだ

追いたてられる町の中 アスファルトに耳をあて
雑踏の下うもれてる 歌をみつけ出したい
からっぽの明日に むけて投げてやるさ
誰もが寝りにつく前に

心のハーモニー かなでよう
ガラスづくりのうた かなでよう
無限の色をちりばめた 町の風景

すべてが虚しくて出会った俺たち
迷いなんか捨ててしまおう 旅に出るまでにね
精一杯生きるなら 愛するならば
俺たちの生き方を笑えやしないだろうよ

一晩中そばにいて 愚痴を聞いてくれ
寂しさに負けたオイラは そうお前にすがって
抱きしめて寒い夜を 過ごしていたね
酔っぱらいふたりとも 夜明けを待っていたんだ

追い立てられる街の中 灰色の空見つめて
ため息ばかりついてた 何もつかめぬままで
振り返ればいつも わけのわからぬ日々
二人歩いた人生があった・・・・

心のハーモニー かなでよう
ガラスづくりのうた かなでよう
無限の色をちりばめた 町の風景

人間喜劇さ その通りだろうよ
だけど何がこうさせるのか わからないよ
愛憎の渦だよ 窮屈になるだけ
だけど誰が止めるというの 祈るしかない生き物よ

だまってておくれよ 理屈なんかいらない
甘えだと 笑うのも よくわかったから
無意味の様な生き方 金のためじゃなく
夢のため 愛のため そんなものにかけて見るさ

追いたてられる町の中 めくるめく日の中で
人生を描いていく 歌いつづけ演じつづけ
人生はキャンバスさ 人生は五線紙さ
人生は時を演じる舞台さ

心のハーモニー かなでよう
ガラスづくりのうた かなでよう
無限の色をちりばめた 町の風景




そして、これがオーディションに持ち込んだといわれる「町の風景」のデモテープ音声です。

16歳ですよ。。 "天才" としか表現しようがありません。





この項、さらに続く >>>
ニックネーム カイチョー at 20:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2012年01月17日

「しあわせ運べるように」

阪神・淡路大震災から17年目の今日、兵庫県下の各被災地では追悼行事が行われ、今年は午前5時46分に加え、東日本大震災が起きた午後2時46分にも黙祷が奉げられたそうです。


神戸の集いには東日本大震災の被災者も参列し、1.17を機に生まれ、3.11の被災地にも広がった「しあわせ運べるように」の歌が流れたようですね。




あの日のことが脳裏を去来して、

いつも涙なくして聞くことが出来ない、私たちの鎮魂歌ともいえる曲目ですが、

この歌が広く被災各地で歌い継がれるようになったのはいつの頃からでしょうか、

今では公式ホームページまで立ち上がっているんですね。



また、地元宝塚では、東日本大震災の犠牲者への追悼の思いも込め、

小説「阪急電車」でも紹介された武庫川の中州に、

追悼の石積みのオブジェが懐中電灯でライトアップされ、

「生」の文字を浮かび上がらせています。



私も微力ながら、縁ある方々へ "しあわせを運べるように" 努めて生きたいと、

今また、心を新たにしています。
ニックネーム カイチョー at 20:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2012年01月16日

「15の夜」

>>>前号より続く


尾崎豊のレコードデビューは1983年 12月1日、

そのファーストシングルが「15の夜」なのですが、

まずは後年、

事あるごとに引き合いに出される歌詞の一部を以下にご紹介します。


〜 ♪♪

そして仲間達は今夜、家出の計画を立てる

とにかくもう学校や家には帰りたくない

自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている

15の夜

盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま

暗い夜の帳の中へ

誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に

自由になれた気がした 15の夜 ♪♪ 〜




“尾崎フリーク” と称される人たちはともかく、

一般的にはあまり知られていないかも知れませんが、


これは実話をもとに書かれた詩ではあるものの、

昨年ドラマ化された『風の少年尾崎豊 永遠の伝説』で尾崎の学友が証言しているように、

実は、尾崎はこの夜、集団家出には加わっておらず、


そのときの仲間たちの心情をおもんばかり、

あるいは、

この実行計画に加わることの出来なかった “贖罪” の意識が、

尾崎にこの詩を書かせたものと思われます。




そして、当初は1,300枚しかリリースされなかった、

デビューアルバム『17歳の地図』の評価が徐々に口コミで広がり始め、


皮肉にも?、はじめて大ヒットしたのが、

デビューから4枚目のシングル『卒業』でした。


 〜♪♪ 

行儀よくまじめなんて 出来やしなかった

夜の校舎 窓ガラス壊してまわった

逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった ♪♪ 〜




この歌で一気にメジャーになってしまった尾崎が、

尾崎の多くの歌詞が80年代後半から90年代にかけての「若者の反抗」というカルチャーを代表しているのは事実でしょう

と一般的に捉えられるのは、致し方ないところかもしれませんが、

(もっとも、この歌詞をこんなふうに解釈し、絶賛する方々もたくさんおられるんですよ。

【尾崎豊日記 〜卒業の歌詞の凄さ〜 】は秀作です。

私はこの方の意見に全面的に賛同しています ^ ^  )


当の尾崎は、初ヒットとなったシングル『卒業』で、

全国の中学校・高校で影響を受けた学生が

夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった

ことにひどく傷つき、


自らのコンサートで、この歌を合唱する観衆に向かって、

 これは俺の歌だ、おまえらが歌うな!! 

と絶叫してしまったり、


デビューから一年も経たない頃には、

ライブイベントで7メートルの高さの照明台から飛び降り、

足を骨折してしまったりと、


“10歳代の教祖” という彼に冠されたレッテルは、次第にその心を蝕んでいきます。



この項、さらに続く >>>
ニックネーム カイチョー at 12:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2012年01月15日

尾崎豊論争

本blogでは、

 "暗くおぞましい事件が続発し、気が滅入ることも多い日々の生活の中で、ホッと心が和むエピソードや、印象に残った素晴らしい詩、絵画や音楽、忘れられない感動など、“ことば”をキーワードに、あかるい話題に焦点をしぼって書き綴っていく" 

ことを旨としており、

この場で論争を誘うような内容は敢えて避けているのですが、



1月9日付の朝日新聞に、

「成人の日に ― 尾崎豊を知っているか」

と題された社説が掲載され、


それに対する反対論?などがネット上で続々と書き込まれるなど、

にわか “尾崎豊論争” の様相を呈しており、


本blogで「尾崎豊」特集を組んだほどの “尾崎フリーク” のひとりとしては、

やはりこの際、この話題に触れておくべきだとの思いから、

このテーマに沿った私なりの "尾崎豊論" を再定義してみたいと考えています。



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さて、まずは今回の論争のきっかけとなった朝日新聞の社説を以下にご紹介から・・・


成人の日に ― 尾崎豊を知っているか」         

ああ、またオヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。

 キミが生まれた20年前、ロック歌手・尾崎豊が死んだ。その時のオヤジより少し下の26歳。雨中の追悼式に、4万人が長い長い列を作ったものだ。

 新聞には「高校を中退し、自由を求めて外に飛び出した彼の反骨精神が、僕を常に奮い立たせていた」と投書が載った。

 彼が「卒業」「15の夜」といった曲で歌ったのは、大人や社会への反発、不信、抵抗。恵まれていないわけじゃないのに、「ここではない、どこか」を探し、ぶつかり、傷つく。

 その心象が、若者の共感を呼んだ。
尾崎の歌は高校の教科書にも採用されたほどだ。

 ところが最近は、うんざり顔をされることが多いらしい。

 オヤジと同世代、精神科医の香山リカさんは毎年、大学の授業で尾崎豊を聴かせ、感想を問うてきた。ここ数年「自己中心的なだけじゃないか」「何が不満かわからない」と、批判的な意見が増えているという。

 教室に居並ぶのは、親や世の中に従順な若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?

 でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、尾崎のころよりずっとずっと生きづらい。

 だけどキミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。

 尾崎豊はどこへ行ったのか。

 あの時の尾崎と同じ26歳、気鋭の社会学者、古市憲寿さんには「オヤジよ、放っておいて」と言われそうだ。

 近著「絶望の国の幸福な若者たち」では、20代の7割が現在の生活に満足している、との調査結果を紹介している。過去40年で最高だ。

 将来の希望が見えないなか、未来を探すより、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。

 なるほどね。いくら「若者よもっと怒れ」と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ……。

 でも、言わせてもらう。

 私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。

 だから、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。

 ともあれ、おめでとう。





これに反論を唱えた常見陽平氏がアゴラに以下の文章を掲載したあたりから、

いわゆる "尾崎豊論争" が勃発します。




「成人式はバカと暇人のもの」 若者に「尾崎豊」を強要するのはやめなさい

成人の日である。今年の成人式は、実に気持ちいい。というのも、この10年くらいずっと続いてきた「成人式で荒れる若者」的な報道を目にしなかったからだ。ネット上で話題になったのは、主に次の二つである。一つは、朝日新聞の社説だ。「成人の日に―尾崎豊を知っているか」。もう一つは、熊本県阿蘇市の佐藤義興市長が成人式でお世辞にも上手だとは言えない歌を披露したことである。

実に牧歌的であると感じた。特に前者については、「若者はかわいそうだ」と感じざるを得なかった。大人もバカで頼りないことを可視化してしまったからだ。

■新成人も、私も「尾崎豊」を知らない
まず、「尾崎豊を知っているか?」と言われても、新成人は「知りません」と答えざるを得ないだろう。新成人はとっくに平成生まれで90年代前半生まれだ。尾崎豊が亡くなった92年に彼らは生まれたのだから知るわけがない。ただ、名前と代表曲くらいは知っているかもしれない。ミュージシャンのインタビューで彼らが影響を受けたアーチストとして紹介しているのを聞いたり、あるいは宇多田ヒカルやミスチルがカバーするのを聴いたのがキッカケだろう。あるいは、尾崎豊は何年かに一度、再評価されているので、そこで知ったのかもしれない。

ただ、今年の新成人が彼の生き方と歌に全面的に共感するとは思えない。さらに言うならば、尾崎豊が生きていた時代にティーンエージャーだった私だって、別にリアルタイムで尾崎ファンだったわけではなかった。当時の私にとって、尾崎豊の歌詞は響かなかった。もっとうるさい音楽の方が心を揺さぶったのだ。たしかに同級生は尾崎豊を聴いていたが、私やその周りにいるバンド仲間にとっては洋楽のガンズ・アンド・ローゼズの方がよっぽど音がうるさかったし、暴力とセックスの匂いがプンプンしていて刺激的、魅力的だった。

「それは、お前の音楽の趣味だろ」と言われそうだが、まったくもってその通りだ。いや、実はそれだけではない。90年前後の当時だって、音楽の趣味も生き方もとっくに多様化していたのである。ゴールデンタイムで歌番組を放映する時代は、ほぼ終わっていた。厳密にはミュージックステーションなどの番組はあったし、まだCDTVなどのランキングに入る曲も、カラオケで皆が歌う歌も似通ってはいたが、「国民的ヒット」というのがあり得なくなったと言われたのが、この時期である。「ドリカムやB'zがミリオンを連発しているというのに、サビを歌えない人がいる」ということが当時から言われていた。当時の若者は誰もが尾崎豊を聴いて、共感したわけではないのである。バイクを盗んだり、夜の校舎の窓ガラスを割ったわけでもない。

もっと言うならば、尾崎豊は影響力、存在感はあったものの、決してバカ売れしたアーチストではない。
前述したドリカムやB’z、ミスチルの方がよっぽど売れている。ちなみに、日本で一番売れた男性ソロアーチストのアルバムは河村隆一の『LOVE』である。実は私はこのアルバムが大好きなのだが、当時も商業的だと揶揄され、ファン以外はナルシストすぎると言われ、今ではBOOK OFFで105円くらいで買えるこのアルバムが、実は尾崎豊のどのアルバムよりも売れたのである。これもまた皮肉なことである。

■いつも若者不在の若者論
ここ数年、メディアは「若者かわいそう論」の大合唱だった。私の専門の新卒採用についてもまさにそうで、メディアは就職難に苦しむ若者の姿を紹介し、読者の共感を得てきた。さらには、世代間格差の話になったりもする。

ただ、この手の議論は若者が不在の議論になりがちである。今回のように、「尾崎豊を知っているか」と言ってみたり、スティーブ・ジョブズが死んだら、"Stay hungry,Stay foolish"という名言をドヤ顔で受け売りしたりする。では、若者が尾崎豊化したら、スティーブ・ジョブズ化したら、全力で叩き潰すのが大人たちである。新卒採用においてもそうで、企業が掲げる求める人物像というのは、「そんな人材いるのか?」というほど神さまスペック化していくし、ないものねだりだ。一方、そんな求める人物像に合わせるように学生は演技し、結果として企業には「マニュアル学生」だと解釈されたりする。そんな不幸な連鎖が続いていて、なかなか悩ましい。

今回の朝日新聞の社説に関しては、「ネタじゃないのか」「実は新成人じゃなくて、大人たちへのメッセージでは?」という解釈もあるようだが、言いっ放しでは意味がない。若者に期待していそうで、この言説自体が実は、昭和的価値観、20世紀的価値観にしがみついた考え方ではないだろうか。つまり、新しい時代をつくるということなんか、何も期待していないのではないだろうか。

実は「こうなれ」と押し付けるよりも、「どうなりたいのか?」と傾聴する姿勢を大切にしたい。もっとも、若者にとってなりたいロールモデルがなかなかないのは、今も昔も課題なのだけれど。

一つだけ言うならば、今回の朝日新聞の社説や、歌を歌って失笑を買った阿蘇市長を見て分かるとおり、別に大人たちが素晴らしい能力や考えの持ち主であるわけではないということだ。皮肉なことに、彼らは身を持って、「大人も色々あるんだよ」と教えてくれたのかもしれない。自分の眼で見て、自分の頭で考えて、自分の言葉で話すことが大事なのだ。大人にしがみついてはいけない。新成人よ、「自分はどう思うのか?」と考えるクセをつけ、自分で自分を支え、試行錯誤をサボらず、紆余曲折を怖がらないで欲しい。くれぐれも言うが、バイクは盗まなくていい。窓ガラスも壊さなくていいのだ。





現在のところ、概ね好評を博していると思われるのが、

冷泉彰彦氏の、以下の文章でしょうか。


尾崎豊の再評価が不要な理由

アメリカには成人式というものがありません。18才で法的に成人する若者に、社会全体で期待をしたり説教をしたりという習慣はないのです。成人式的なメリハリは宗教が担っているという理由もありますが、もしかしたら世代ごとに世界観の論争をしたり、反抗と抑圧の抗争をしたりというカルチャーが弱いからかもしれません。そもそも核家族イデオロギーが機能する中で親子が比較的仲が良いということもあると思います。それがアメリカの強さと弱さを輪郭づけています。

 そんなアメリカとの比較で言えば、日本から聞こえてきた成人式の日の「今の若者に尾崎豊のような反抗を期待」するという朝日新聞の社説と、その社説を批判した常見陽平氏の『「成人式はバカと暇人のもの」若者に「尾崎豊」を強制するのはやめなさい』というアゴラの記事を巡る論争は大変に興味深く思えました。

 尾崎豊と言えば、校内暴力の時代の「反抗カルチャー」の象徴とされています。常見氏は別の場所で尾崎のラブソングには一定の評価を与えていますが、それはそれとして尾崎の多くの歌詞が80年代後半から90年代にかけての「若者の反抗」というカルチャーを代表しているのは事実でしょう。
 日本が最も豊かであったあの時代に、どうして校内暴力の反抗が起きたのでしょうか? そこには2つの理由があると思います。1つは、日本が高度成長から二度の石油ショックを乗り越え、自動車と電気製品を中心に輸出型ビジネスを大成功させる中、ようやく「豊かな社会」を実現したという時代背景です。物質の豊かさは精神の豊かさ、つまりより高度な抽象概念への関心や、より高度な付加価値創造への欲求へと若者を駆り立てたのです。

 ところがそこに、教育カリキュラムとのミスマッチが起こりました。教育カリキュラムはせいぜいが「前例を疑わない官僚」や「主任教授の忠実な弟子である研究者」「代々受け継がれてきた職人的な創造者」などをエリートとして養成しつつ、多くの中間層に関しては定型的な労働における効率を追求する人材育成のプログラムしかなかったのです。

 つまり、若者の中には無自覚ではあっても「その先の社会へ」と進むモチベーションが高まっていたのに、教育がそれに応えなかったのです。やがて、ずいぶん後になってから「ゆとりと総合的学習」などという半端なコンセプトが提出されましたが、基礎訓練を強化した上で抽象的な概念のハンドリングへ進むのではなく、基礎訓練の劣化を伴いつつ指導者の育成もせずに「総合」などというのでは破綻するのは当たり前でした。

 ちなみに、この「ゆとり」に関して言えば、前思春期には基礎を叩きこんで、思春期から先に抽象概念にチャレンジさせるという定石も外していました。実際はその反対だったのです。前思春期に「おままごと」のような「総合」をやらせておいて、思春期以降は「受験勉強」に戻って定型的な訓練と規範への盲従を強いるという、まるで人格を成長「させない」ようなプログラムになっていた点も厳しく批判されなくてはなりません。

 もう1つ、校内暴力の背景にあったのは教員の質の低下でした。80年代の世相の中では、「利害相反の中でコミュニケーションの仲介をする」という当たり前の社会的行動を「忌避する」タイプが多く教員になっていったように思います。バブルの拡大を前にして「ビジネス志向」の若者が企業社会に飛び込む中で、「そうではない」タイプが教壇を目指したのです。

 拝金主義を嫌って本質的な人格育成を担う志があるのならまだ良かったのですが、利害相反の調整行動を「イヤ」だ「辛い」というタイプを教員にしたのは間違いでした。世代間のカルチャーがどんどん変化する中で、教員に求められるのも「高度な利害相反の調整能力」であったのです。そのスキルのない教員には、生徒の「変化への衝動」や「権威への疑い」に対処できるはずはありません。

 そこで当然の帰結として管理教育が導入されました。管理教育というのは、強者ゆえに管理に走るのではなく、無能な弱者ゆえに細かな規則などによる管理でしか学級運営(クラス・マネジメント)ができない、教育のレベル低下であったのです。原理原則を軸として柔軟な価値判断や現実的な紛争調整をすることができない無能な教員が、生徒の「変化や破壊の衝動」を圧殺するという悲劇が繰り返されたのでした。

 尾崎は少なくともこの点は見抜いていました。その意味で歴史的な意味合いはあると思います。ですが、20年を経た現在、この点で尾崎を最評価しても何もならないと思います。

 1990年の時点では「高付加価値」や「抽象概念」が扱えない大人には、反省はまるでありませんでした。自分たちが日本社会を「先へ進める」ことを妨害しているのに気づかず、過去の成功体験や代々受け継いできた訓練ノウハウを疑うこともしない彼らに対して、当時の若者が激しい異議申し立てをしたのは当然だと思います。

 ですが、現在は時代状況は違います。今、日本社会が直面しているのは一種の撤退戦です。国際競争の中で負けた部分を放棄しながら、何とか生き残るために必死に戦うというのが、現在の「大人」の姿ではないでしょうか? そこには豊かさの中で変化を圧殺し続けた1990年の時点での「大人」のような罪深さはないように思うのです。今、必死で生きている日本の「大人」に対して、日本の若者に「反抗せよ」というのは正義ではないと思うのです。

 勿論、生きるために必死な人間が「下の世代にフレンドリー」だという保証はありませんし、下の世代からしても「現実の中で必死な姿勢の全てが尊敬に値する」わけではないと思います。必死である大人は、時として若者の利害も踏みにじろうとするでしょうし、撤退戦に必死な姿をマネしているだけでは生き残ることも難しいからです。

 若者は若者で、困難に満たされた社会、危険と隣り合わせの現実社会の中で、成熟した防御の感覚を備えているのだと思います。現状に満足かと問われれば、とりあえず「イエス」と答えておくその姿勢の防御的な成熟には、「その先へ」と進んでゆく可能性も感じられるのです。そうした若者には「戦略なき反抗」などという破滅志向はないのであり、それはそれで正しいのだと思います。尾崎の歴史的意義はあるにしても、再評価は不要というのはそういうことです。




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当然のことながら、

このお三方の論評に共通しているのは尾崎豊というアーティストの捉え方。。


彼が「卒業」「15の夜」といった曲で歌ったのは、大人や社会への反発、不信、抵抗。恵まれていないわけじゃないのに、「ここではない、どこか」を探し、ぶつかり、傷つく。 その心象が、若者の共感を呼んだ by 朝日新聞社説


当時の若者は誰もが尾崎豊を聴いて、共感したわけではないのである。バイクを盗んだり、夜の校舎の窓ガラスを割ったわけでもない。もっと言うならば、尾崎豊は影響力、存在感はあったものの、決してバカ売れしたアーチストではない by 常見陽平氏


尾崎の多くの歌詞が80年代後半から90年代にかけての「若者の反抗」というカルチャーを代表しているのは事実でしょう by 冷泉彰彦氏


うえは一般的な尾崎の評価としては至極妥当なものであり、

そのこと自体を否定するつもりは毛頭ありませんが、


実は、このことこそが、

私が尾崎豊論争に違和感を覚える唯一最大の論点なわけです。


この項、続く >>>
ニックネーム カイチョー at 19:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人・人生